2008年8月17日日曜日

浜松に行ってきました。

 ここ2日間友人宅を訪れに浜松近辺に行ってきました。
 目的は釣りをすることでしたが、その途中、ブラジル人向けのスーパを発見しました。
 そういえば、浜松は、ブラジル人等の移民が多いという話があるなぁと思い、そこへ住む友人に外国人の印象について尋ねてみました。
 すると、

「一部の外国人ではあると思うけど、外国人が犯罪を犯したことがニュースになることが多いよね。」

とのこと。
 その場では、日本人にだって犯罪者はいるし、外国人だから目立つだけじゃないかと考えて帰宅しました。しかし、かえって、外国人犯罪者の数を調べてビックリ。
 Wikipediaの情報によると、

”例えば、日本人の犯罪率を100%とした時、2000年の統計では来日中国人243%、来日ブラジル人250.7%、来日米国人4%。例えば、日本人の犯罪率を100%とした時、2000年の統計では来日中国人243%、来日ブラジル人250.7%、来日米国人4%。”

とあるではありませんか。
 数字からは、国籍による犯罪数の多少の存在が裏付けられる結果になっている。。
 今後、大量に移民を受け入れることを決断しつつある日本にとっては重大な問題です。
 この問題の背景にあるのは、おそらく、日本では階層が固定しやすいという風土があるのでしょう。
 日本では、職業を大きく変えることは非常に難しいと考えています。例えば、自動車メーカの組立工として働いている人が、自動車メーカの研究員になれるか。まずなれないでしょう。
 そもそも要求されている学力等が異なりますし、仕事としての内容も大きくことなりますから、組立工から研究員へのキャリアパスを画一的に設ける必要はないと思います。
 しかし、例えば、ブラジルで工学士の学位を得ている移民が、何がしかの事情で組立工として働いている場合に、彼らが日本で修士号や博士号を得て、設計職や研究職にチャレンジすることができるのか、といった場合でも難しいのではないでしょうか。
 まず、修士号や博士号を取得する費用が多額になりますし、ストレートに修士号や博士号を取得した方と比べて、年齢のハンディキャップを背負わざるを得ないと思います。日本には依然として、年齢に応じた給与体系の維持が図られる傾向にあり、成果主義といいつつも、想定する給与体系に適合した年齢の者が職を得やすく、その年齢から外れると、職を得にくいといった傾向があると感じています。
 このように、実質的に外国人にとって不利になる条件が存在しているということは、移民国家となっていく日本としては非常によくない。
 社会の底辺に固定化されてしまった人々は、経済的にもおいつめられ、(正当化できるものではありませんが)犯罪を犯してしまう人が増えてしまうでしょう。
 日本は、かつて、安全な国として賞賛を受けていました。
 安全であること、これは、なににも変えがたい財産でした。
 生命の自由が脅かされないというのは、億万長者になるチャンスが少し増えることよりもよっぽど大切で重視するべき事項です。
 そして、そのような国に魅力を感じる人々は大勢いるでしょうから、多くの知性をひきつけ、国家の発展につながっていくことと信じています。

 そのためには、まず、移民への奨学金制度の整備、年功を基調とした給与体系を崩すことへの覚悟をしていくことが日本にとって必要なことではないかと考えています。

 現在、経営者の方々の中に、「移民流入の目的は単純労働者の確保だ。」と考えている方がいるようであれば、そのような考え方は是非改めていただきたいと考えています。

 「移民受け入れの目的は、日本の国力の維持のためであり、日本を支える仲間を受け入れている。」

ということです。
 一旦受け入れられた移民は、実質的に他の日本国民と比べて不利にならないよう、経済的、言語的、文化的配慮を施す仕組みが築き上げられること、
 そして、将来、「安全な国、日本」というブランドを、移民の方々と共に取り戻すことができるようになることを強く願っています。

                            ブログランキングに参加しています。応援いただける方は本日のClickいただければ嬉しいです。
にほんブログ村 その他生活ブログへ
                            → ポータルへ

0 件のコメント: